本稿は、戦後の信濃教育会において,務台理作が教育文化の向上を目指した職能集団としての同会の性格形成に果たした思想的・実践的役割を検証した。結果として、務台は教育会と県教組の両立を図る「車の両輪論」に立脚し,信濃教育会を「中道」路線へと導こうと努めたこと。そして、信濃教育会の総集会における講師の選定や雑誌『信濃教育』への寄稿,そして哲学研究の継続において,務台は教育文化の向上に寄与したことを指摘した。これらをふまえて,務台の活動が戦後の職能団体としての信濃教育会の存在意義を確立する上で重要な役割を担ったことを明らかにし,務台の目指した「中道」路線の内実を実証的に明らかにした。