「〈ほとけ〉の言葉は伝わるか」(招待有)
天長年間(824-834)僧正の地位にあった護命はその著書『大乗法相研神章』において日本を理想的仏教国家として称揚する一方、それまで日本仏教の〈手本〉であった中国護国仏教を相対化する姿勢を示す。このような姿勢は、仏教発祥の地・インド由来の文字である悉曇(梵語)が空海によってもたらされたことによって顕著になったと考えられる。悉曇の発音を重視する空海の言語論は最澄にも影響を与え、会津在住の法相宗僧・徳一との論争を通じて、独特の言語思想を結実させた。pp.53-60
『古代文学』第54号(古代文学会)