8世紀成立の『日本書紀』所収の「仏教公伝説話」では〈仏教先進国〉百済からの仏教文物移入を〈東流〉という熟語で表現する。一方、9世紀に成立した円仁『入唐求法巡礼行記』および『日本三代実録』所収の円仁卒伝においては、会昌の廃仏に伴う円仁の帰国を仏法の〈東去〉として表現する。「東流」から「東去」という熟語の変化の要因としては、空海による毘盧遮那如来の用いる「真言」の象徴たる梵語、その梵語の使用を推進した密教僧・不空への着目に伴うインドの再発見、およびそれに伴う〈仏教先進国〉中国の相対化が指摘できる。
pp.91-109