『将門記』では、『礼記』『白虎通義』『易経』をはじめとする中国典籍の表現をふまえ、将門の本拠地たる東国一帯を中国の諸侯の領地に相当する「百里の内」、さらに将門によって樹立された東国国家の範囲外となる平安京の地を「千里の外」と表現する。このことは、日本において唯一無二であるはずの「天皇」の存在を相対化する「新皇(=平将門)」の存在を強調する意味あいをもつ。『将門記』における東国像とは、平安京と併存しつつも自律した存在であった当時の畿外の実態を反映したものであり、まさしく自力救済を旨とする「濫悪の地」とよぶにふさわしいものであったと評価できる。