石井公成氏は、奈良時代における仏教的信仰の実態を明らかにする手掛かりとして『日本霊異記(以下「霊異記」)』中巻「愛欲を発し吉祥天女の像に恋ひて感応して奇しき表を示す縁 第十三」を取りあげ、現代人が理想視する純粋な「内面的信仰」の要素を欠き、ややもすると不純な「外面的行為」として軽視されがちな仏像への礼拝や称名・悔過への熱中を通じてこそ仏菩薩に対する〈信〉が深められていったと述べる(「行為としての信と夢見」)。
本発表では石井氏の主張をふまえ、倫理学者・和辻哲郎(1889-1960)の評論『古寺巡礼』(初版1919)の分析を通じて、現代人が理想視する「内面的信仰」とは異質な、『霊異記』の世界に展開する、仏像への礼拝や称名・悔過を通じて形成される〈信〉の生成の契機の具体的な理解を目標とする。
和辻は大正6年(1917)の奈良旅行にて麻布著色吉祥天女像(現、薬師寺蔵。以下「麻布吉祥天像」)を鑑賞した際、「地上の女であって神ではない」「『霊異記』に現れたような、素朴ながらも病的な、官能追求の気分から、誇張して感ぜられた女の美しさ」(『初版古寺巡礼』)などと、宗教画としては極めて低い評価を下す。和辻は人格向上を目指す近代的知識人としての自覚や、日本古代文化の淵源を人格主義・教養主義の理想郷たるギリシア文化に求める学術的立場に基づき、『古寺巡礼』において鑑賞対象となる仏像たちを「精神を高め心を浄化する芸術」と「官能を悦ばせる芸術」とに二分した上で、前者を高く評価しつつ後者を天平期特有の退廃的風潮の産物として軽視した。
その一方で、和辻自身も「官能を悦ばせる芸術」の鑑賞を通じてしばしば仏像との感覚的合一を果たし、仏像に恋慕する「天平の人」の「心もち」にも共感を覚えるようになる。
このような和辻の体験は、言説メディア(経典・説話)と視覚メディア(尊像)とが競合しつつ各々の機能を相互に補完・保証し合うことで成立する(拙稿「〈現前〉する観音菩薩」同「破かれた銅像と傷つけられた釈迦」)日本古代の仏教信仰の実態を推測する上で、きわめて示唆に富むものと思われる。