その他

基本情報

氏名 冨樫 進
氏名(カナ) トガシ ススム
氏名(英語) Togashi Susumu
所属 教育学部 教育学科(中等教育専攻)
職名 准教授
researchmap研究者コード
researchmap機関

タイトル・テーマ

(報告発表)古代から中世へ――行基像の変容とその思想的意味――

単著・共著の別

その他(発表学会等)

発行又は発表の年月

201810

発表学会等の名称

日本思想史学会創立50周年シンポジウム 第二回 「日本思想史学の現在と未来」(於, 神戸市灘区・神戸大学六甲台キャンパス)

概要

奈良時代の僧・行基(668-749)は,民衆や豪族を対象に幅広く布教活動を行う一方,東大寺の盧舎那仏造営に大きく貢献し,朝野を通じて幅広い尊崇を集めた。その結果,行基は生前から〈大徳〉〈菩薩〉と称されるのみならず,死後ほどなく文殊の化身と見なされるようになった。彼の活躍を描く説話は,古代から中近世を通じて,膨大なバリエーションを生み出していく。
 行基が文殊の化身と見なされるようになった理由は,一般に,困窮者の救済を目的とした布施屋の建立や運営,弟子の私度僧集団を動員しての地溝の造設や架橋といった行基の諸事績が,『文殊師利般涅槃経』の行基像と結び合わされた点に求められる。この通説に対して本発表では,行基即文殊説を最も早い段階で唱える景戒『日本霊異記』(820年代成立)や一向大乗寺の食堂上座に文殊像を設置すべきと主張した最澄『顕戒論』(819成立)が,いずれも滅罪を司る文殊のイメージをより重視していた点に着目する。
滅罪・懺悔の対象としての文殊像と社会福祉的利他行の実践者としての文殊像はいずれも『文殊師利般涅槃経』に認められ,両者は矛盾・背反する要素ではない。しかし,上に示した事実は,在世時から没後間もない段階においてはどちらかというと滅罪・懺悔の対象としてとらえられていた行基像が,徐々に社会福祉的利他行の担い手という色彩を強めていったことを示しており,古代から中世を通じて,行基(および文殊)のイメージが緩やかな変容を遂げていったことを示唆するものと考えられる。
 この変容は複数の要因によって起こったと考えられるが,本発表では源為憲『三宝絵』(984成立)を初出とする,難波津における菩提僊那(704‐760)と行基との対面を語る説話を主な題材として,古代から中世に至る行基即文殊説の質的変遷に思想史的な評価を加えるとともに,その現代的意義についても論及していきたい。