平安時代初頭、天竺のことばで語られた釈迦のおしえの内容を、言語を異にする日本において忠実に受容し得るのかという問題が浮上した。その過程で、既存の漢語や和語とは異質な音韻体系を有する悉曇(梵字・梵語)の発音を正確に表記・表現するための工夫が重ねられ、その延長線上に五十音の体系化や濁点・半濁点の発明が行われた。本報告では最澄と会津在住の法相宗僧・徳一との間で交わされた三一権実論争の過程で浮上した言語論的論争の意義について、インド思想史・中国仏教史における展開の延長線上に位置づけることで、その意義を明らかにしようとした。