9世紀初頭に渡唐した空海や最澄は、8世紀後半に代宗・徳宗・順宗の三代から篤い帰依を受けた天竺出身の密教僧・不空の業績に注目し、各々が不空由来の密教継承を主張する。その結果、不空の出身地であるインド重視、およびそれに伴う仏教先進国・唐王朝の相対的な地位の低下が起こる。さらに円仁が渡唐を遂げる9世紀中頃に至ると、会昌の廃仏をはじめとする大規模な仏教弾圧などによる仏教衰退に伴い、仏法が中国から日本へと〈東去〉してしまうという言説が唐国内においても発生し、日本における仏教的ナショナリズム進展にいっそうの拍車をかけることとなる。