最澄は、自ら提唱する大乗戒授戒制度の正当性を主張する目的で朝廷に提出した『顕戒論』『内証仏法相承血脈譜』を執筆するにあたり、空海が唐からもたらした不空の文集『表制集』所収の文章を随所に引用する。その引用態度は①自身の将来した密教教義の正当性を主張する②僧綱・南都の高僧が知らない唐仏教の最新情報の典拠とする、という二点に集約されるが、究極的な目的として『表制集』から当時の仏教先進国たる唐のみならず、不空の出身地である天竺における護国仏教のありかたをも取り入れることにより、日中双方で前例のない大乗戒壇設置という事業を正当化することにあったものと考えられる。