本邦における教育相談でのプレイセライーの実践が、ある特定の心理療法の理論に基づいたプレイセラピーを踏襲したものではないことから、その設定、特に部屋や玩具といった物理的な点において設えることが不可能であり、心理療法の理論に基づく方法では「不適切」とみなされうる玩具が用いられることもある。しかし、そこにおいて展開されるプレイセラピーも、意義のあるものと考えられ、道具立ては二義的であり、遊ぶことこそがセラピーを機能させているという点について論じ、本稿では、「遊ぶこと」とは何であるのかについて検討した。プレイセラピーにおいて遊びはセラピーの道具であるとみなされる反面、遊ぶこと自体がセラピーの目標とされることから、遊び・遊ぶことについて論じ、ウィニコットの遊ぶことplaying、タゴールの詩、「遊」という文字の起源い遡って考察した。語源から遊ぶことは死者と関わることであることが示され、遊ぶことのこの性質は、プレイセラピーの基盤を成している可能性が示された。