宮城県北部にあった元涌谷小学校の大正新教育期の実践と校長菅原芳吉の教育観について考察を行った。同校の自学と分団教育は県内でも注目を浴びていた。その実践の背後には同校児童の学力格差の問題があり、実はその対策の実践でもあった。菅原校長は、低学力を児童の素質や遺伝にその原因を認めるのではなく、環境や制度の問題としてとらえていた。しかし、学力向上の方策を自分や分団教育という教育方法上の次元にのみ自ら限定していった。これは元涌谷小学校だけでなく、実は大正新教育に共通する特質であり問題点であった。
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