その他

基本情報

氏名 元村 智明
氏名(カナ) モトムラ トモアキ
氏名(英語) Motomura Tomoaki
所属 総合福祉学部 社会福祉学科
職名 准教授
researchmap研究者コード
researchmap機関

タイトル・テーマ

明治38年東北凶作地宮城県の実相報道と救済対応動静

単著・共著の別

単著

発行又は発表の年月

202405

発表学会等の名称

社会事業史学会第52回大会、東洋大学

概要

本報告は、1905年の東北凶作地宮城県の実相報道と救済対応に関する検討である。特に、凶作翌年の1906年1月からの新聞報道を取り上げるが、それは第一次西園寺内閣が組閣され東北凶作への対応と地域社会の動向を通して地域的公共の可能性を探る研究である。これまで社会福祉の歴史研究における東北凶作の位置付けは、「大規模災害の問題は、多くの人間の暮らしを破壊する問題であるため、社会福祉の分野でも最重要課題の1つ」との指摘があり、『改訂版日本貧困史』(川島書店1993年)で産業革命期の貧困として「災害」を取り上げられた。特に、東北大凶作が日露戦争による国力疲弊と重なり深刻な影響が指摘された。明治38年の冷害大凶作は、宮城県の稲作に壊滅的な打撃を与え、全県民の3人に1人の29万人弱が飢餓状態に追い込まれたと指摘される。しかし後の『明治38年宮城県凶荒誌』(宮城県1916年)による史資料による分析である。そのため地域新聞の報道を通して明らかにした。東北凶作明年の正月の新聞報道では中央政府との折衝が始まり、知事による県内視察が実施された。各種救済対応として、桑園開墾や宗教関係者による救恤会の組織化、「応急の救済事業」が報道された。また、外国報道として英米の東北凶作の救済に対する意向が確認出来る。そして国内各省の救済対応も新聞報道から確認できる。その報道下で生活困窮実態として「窮民」報道が確認でき、そして内務省の窮民対応が報道された。遠隔地から慈善事業的な取り組みと展開がみられる。以上の分析を通して恤救規則の狭隘性が指摘され義務救助救貧法が構想され議論され未成立となるこの時期の「窮民」理解と「窮民」への政策は、国家による国民生活の介入の問題であり、その後の感化救済事業や地方改良事業に与えた影響は少なからずあるのではなかろうかと結論づける。