「8・9世紀の神宮寺における仏像の存在とその意義について」(査読付き)
8・9世紀の神宮寺には「初期本地仏」と定義されるいくつかの仏像が確認される。『日本書紀』によれば、仏教伝来当初、仏は「国神」に対し「蕃神」と称された。こうした精神的土壌を前提とし、9世紀半ばから造立される本格的な神像の前段階として、「初期本地仏」は登場したと考えられる。本論文では、仏像の形をとりながら神像および神体という要素を有する点において、初期本地仏が本地垂迹思想成立以前の神仏同一観を促したことを指摘した。平成15年に提出した修士論文に修正加筆を行ったものである。pp.122-131
『女子美術大学研究紀要』34号