船形山神社は宮城県北部南端の大和町に位置する。この地域は、古代において色麻柵を中心とした色麻郡の領域に含まれる。船形山神社に御神体として伝わる金銅仏「菩薩立像」は、久野健氏、松山鉄夫氏の紹介によって韓半島由来のものであることが指摘され、多くの識者の検討により百済仏とされてきた。本稿では従来までの美術史的な見方に、考古学的な知見を加味して、本像をこの地にもたらした人々の存在に迫った。古墳の変遷、官衙の成立、生産遺跡の操業などを視座にみると、渡来系の移民の姿が垣間見られる。中でも色麻古墳群より出土する須恵器は湖西窯跡品と考えられ、多数の移民の存在を推定できる。また色麻町土器坂瓦窯跡から出土した雷文縁4葉複弁蓮華文軒丸瓦によって7世紀末~8世紀初頭に紀寺系の軒瓦を使用した官衙と寺院が成立したことがわかる。古代色麻郡は多賀城以前の7世紀後半代には北進・西進の拠点となり、活発な動きのあった地域でもある。よって、従来まで8世紀~9世紀と考えられていた「菩薩立像」の当地への伝来の時期を見直し、渡来系移民による7世紀後半に位置付けたい。
「1.船形山神社の祭礼と御神体」「2.先行研究」は門脇、「はじめに」と「おわりに」は共同執筆。総pp.93-107
門脇佳代子、渡邊泰伸