本稿では介護事故の責任においては、施設側が請求される要因としては、介護事故裁判例が示すように、施設側の「謝罪がない」「敵対的な言動がある」「施設側には責任がない主張を繰り返す」という当事者の置かれた状況や主観的な語りが訴訟まで発展し、裁判官の心証形成にも少なからず影響を与えているものと思われる。当事者に寄り添い、当事者の語りに耳を傾けて共感的に寄り添えば、世田谷区の損害賠償請求をしない9割の家族のように、本来感謝すべき施設側の主張を受け入れるはずである。判決を下す裁判官は人の痛みを感じる人間である以上、人が法を信じられる判決内容にする必要性を感じているはずである。裁判官においても「常識と感性の社会に生きている」視点を持っているのである。つまり、現状において、裁判も人が行う以上、陳述調書が論理的な判断を志向するものであっても、人としての感性、情動などの人の心を揺さぶる語りに依拠して裁判が行われるのである。そのためには、法の枠組みを前提とした当事者自身の関心や主張を中心に解決を図ることが大切である。現行の専門的な訴訟構造や法専門家の活動形態において、法律の専門家にとって、法的観点から定義し、法的に選ばれた争点だけを解決することは容易なことであるが、それは、当事者自身の本当の問題解決の機会を奪い、当事者を真の意味の紛争から排除することになるのである。要件・効果、因果関係、過失という類型の定式に一定の配慮をしながらも、紛争当事者の「語り」という日常的言説を尊重しながら、問題解決の糸口を探し出していくことが何よりも重要である。当事者の自己解決能力を引き出していくことが必要なのである。介護事故の訴訟当事者には、訴訟までされない「語り」の本質を理解する必要がある。
介護事故裁判例が示すように、介護事故が発生し、訴訟まで発展するのは施設側の不誠実な対応、つまり責任逃れの「語り」、真相究明をしない「語り」、謝罪を認めない「語り」が家族側の訴訟提起の要因、裁判官の心証形成において少なからず影響を与え、施設側の敗訴の要因になっているのである。介護の責任と注意義務においては、介護事故が発生した場合には介護事故という事実は消えることがない以上、今後の介護サービスにおいてはこのような語りという日常的言説に注意を傾けることが必要である点を明らかにした。
総p.6