本論文は、生成系AIの急速な広がりが注目される中、「情報の信憑性」への懸念が指摘されている問題を取り上げ、その影響を検討したものである。ChatGPTの情報への不安が「社会における信頼の揺らぎ」をもたらすと懸念される一方で、むしろ「有効に使っていくべきだ」とする論調が強まり、その便利さを享受する国民がいる一方で「構える国民」が不寛容になっていく現象などに着目した。大学では学生たちにレポートなどの提出を求めることが多々あるが、それがこのChatGPTによって書き上げられたものとなってきた場合、どのように受け止めていくべきかが議論されてきている。「現場」と呼ばれるところでの安易な使用は、「目的達成に向けた作業」の本来の在りからの逸脱をもたらす一方で、多くの情報を簡単に、それも即座に入手することのできる利便性が大きな利益であるとする事実もある。これらの問題を就職活動におけるエントリーとシートの執筆にも生かしている学生たちの姿に見る時、「明確になるようでいて、見えなくなるものがある」という実感に、改めて「信憑性」と「信頼性」という言葉を重ね合わせる複雑な思いが入り混じるとする考察を試みた。