教育における「対話」とは何か「査読有」
教育における対話の問題については、その表層的な面のみがいわれ、原理的・根本的な意味が軽視されがちである。そもそも対話とは何なのか、なぜ必要なのかといった議論が突き詰められないままに、対話という言葉だけが濫用されてきた印象がある。本稿では、ソクラテスやボルノーの対話論を手がかりに、哲学的視点から、いま対話において何が求められているのか、対話の本質を明らかにし、対話に必要な要素は何か、対話によって、どのような学びが可能になるのか、について考えてみたい。pp12-15
体育科教育