「泉田堡・幾世橋御殿の復原的考察-相馬氏の『二屋形』制研究の基礎作業-」
中近世移行期、戦国大名・領主の家督相続は時間的経過のなかで徐々に進められ、その間、父子連署の書状が発給され、さらに父子は別々に居館をもって内政・外交を担当した。本稿は、相馬義胤・利胤父子の相続過程で本拠移転を進め、はさらに義胤は南域支配の拠点として標葉郡泉田に拠点を構えた。その子孫尊胤も同じ地域に「隠居所」をもうけたが、その実態は不明な点が多い。そのためこの地域の復原的研究を明治初年に作成された字限図や地籍図を用いて行い、その実態を考察した。P36-47
相馬郷土研究会『相馬郷土』第33郷