福島県相馬市に存在する県指定史跡「中村城」は、近世相馬中村藩の本拠として機能したが、それは中世以来の城館を慶長16年〈1611〉に拡張され、小高城(南相馬市小高区)から移拠したものであった。本拠を移した背景には、松川浦という海上の要衝と後の浜街道という福島県太平洋岸を縦貫する陸上交通の交差する地点を選んだこと、そしてなによりも重要な点は、家臣の多くが鎌倉時代以来の村々に住み、中世以来の村支配を行っていた状態から、中村城下に本拠を移し、近世的な支配体制を構築する点に目的があり、相馬利胤の父義胤によって遂行されたことなど、すでに指摘してきた。
そのうえで、本講演では、城郭そのものがどのように変化したかについて、中世の資料にはほとんど記述されないため、近世の編纂資料および地理的状況〈本曲輪や西曲輪の高低差〉などから、現在の本丸と妙見曲輪が中世段階の城地であって、慶長16年段階で多くの曲輪や堀が増築されて現在の姿が形作られたことを指摘した。