本稿は、重要文化財「石清水八幡宮文書」の修理に基づく調査・研究の成果として、新出文書を翻刻して紹介する。国庫補助金を基盤とした文化庁事業の古文書修理によって裏打紙が剥がされ、これまで確認できなかった裏書文書が発見された。すなわち、後光厳天皇が石清水八幡宮寺検校を社務職として補任する綸旨を発給した新事実、また足利義満がはじめて武家として社務職を補任した将軍家御教書の存在から、公武共同による宮寺統括職の社務検校を補任する体制が創出された歴史的な背景を考察する。古文書の修理による新事実の発見は、保存と管理を目的とした修理にとどまらず、新たな調査・研究の可能性を提示するとともに、あらためて歴史的な価値を高める成果として意義付けられるものと考える。