「源融遠景―塩釜の前に浮きたる浮島と河原院―」
源融が作庭した河原院は塩釜を模したものと伝えられていたが、近年、塩釜沖に浮島が存在しないことを有力な根拠として、同院は実景を模したものではなく、都人の想像上の作庭であるとの見解が有力視されている。本稿は現多賀城跡に近在する浮島を手がかりとして、河原院が塩釜の実景を写した事、及び源融の塩釜憧憬が按察使大納言時代に培われたことを検証しようとしたものである。総p.367 pp.110-127
『伊勢物語の表現史』笠間書院